quote-over100notes-jp knnr 「報告したまえ」 「何をですか?」 あたしは白々しく聞いたが、それが時間稼ぎにしかならないのは分かっていた。もちろん、渕上マネージャにも分かっていたにちがいない。それでも、渕上マネージャは、無限の忍耐心を発揮して繰り返した。 「先ほどのデモにおけるレスポンス遅延の原因と、君が対処した方法について報告したまえ」 あたしが迷いながら口を開こうとしたとき、渕上マネージャがオーバーライトするように付け加えた。 「後ほど亀井からも事情を聞く。食い違うことがあれば、再度、説明をしてもらうことになる」 ――口裏合わせぐらいしとくべきだったか ひそかに舌打ちしたものの、たとえその時間があったとしても、亀井くんは堂々と自分がやったことを報告することを選んだにちがいない。それに、渕上マネージャが亀井くんから事情を聞く、と明言したということは、すでにおおよそのところは、想像がついているのだろう。ムツミさんか、東海林さんがあたしと同じ結論に達していて、それを渕上マネージャが聞き出したのかもしれない。 「……分かりました」 あたしは、ロードバランスの設定と、どのように回復させたかを簡単に説明した。 「……大まかに言えばそういうことです。でも……」あたしは付け加えずにはいられなかった。「システムに回復不可能なダメージを与えようとか、デモを台なしにしようとか、そういう意図はなかったんだと思います」 「それは問題ではない」渕上マネージャは冷ややかな視線と口調をあたしにぶつけた。「亀井の意図などどうでもいい。やったことだけが重要だ。君は亀井の行為を容認するのかね」 「いえ、まさか」あたしは首を横に振った。「被害は軽かったとはいえ、やっていいことだとは思っていません。でも……」 「なんだ?」 「……亀井くんの気持ちも、少しは理解できるというか……」 次の瞬間、渕上マネージャは想像を絶する行動に出た。ひょろ長い足で、演台の側面を思い切り蹴飛ばしたのだ。木製の演台は、ぐらりと揺らいだが、この理不尽な攻撃にけなげに耐えた。 「あいつの気持ち?」渕上マネージャは顔を歪めていた。「あいつの気持ちだと? あいつがやったことは、社会人として、エンジニアとして許されざる行為だ。サーバに意図的に悪意のある設定を追加し、大切なデモを妨害し、新システムに対する拭いようのない不信感を出席者に植え付けたんだぞ」 あたしは呆気に取られて、初めて感情を爆発させた渕上マネージャの姿を見つめていた。反射的に心に浮かんだのは、ここに亀井くんがいればよかったのに、という、われながらアホらしい子供じみた思いだった。 ――ああ、亀井くんが見たかったのは、この人のこういう姿だったんだろうな。 「このシステムは、君たちが作ってきたような、どうでもいいような使い捨てシステムとは違う。私のシステム、私が高度なマネジメントを駆使して、ここまで作り上げたシステムだ」渕上マネージャは少し声を低くしたが、冷静さを取り戻すには至っていなかった。「その成果を、ただの私怨だけで台なしにしようとした。断じて許すことはできない」 確かに亀井くんの行為に弁解の余地はない。その点では、あたしの意見は、渕上マネージャのそれと一致している。あたしが、引っかかったのは、その前の言葉だった。 「誰のシステムですって?」あたしは渕上マネージャの言葉が途切れた隙に口を挟んだ。「渕上さんが作ったわけではないと思いますけど」 「ほう、そうかね」渕上マネージャは一歩近づくと、かなり上からあたしを見下ろした。「では、誰が作ったというのだ」 「それは、やはり私と亀井くん、ホライゾン、サードアイの人たちだと思いますけど」 渕上マネージャはせせら笑ったりせず、軽蔑するように鼻を鳴らしただけだった。 「君はシステム開発というものが分かっていない」 「どういう意味でしょうか?」 「実装する人間だけで、システムが完成されるわけではない。重要なのは、マネジメントをする人間だ。PMの意思こそが、システムの根幹となる思想そのものなのだ。思想のないシステムは、いずれ何らかの瑕疵か矛盾によって自己崩壊する運命にある」 「マネジメントは確かに重要だと思いますが……」あたしは言葉を選びながら反論した。「実装のクオリティも、システムには重要な要素ではないでしょうか」 「クオリティが高いに越したことはないが、必須条件ではない。優秀なプログラマが100人いても、PMが無能なら完成するシステムはできそこないだ。そこには思想がないからだ。仏像を作って魂を入れていないのと同じだ。逆に無能なプログラマばかりでも、マネジメント方針が首尾一貫していれば、エンドユーザーから高い評価が得られるシステムができあがる」 「そんな極端な……」あたしは鼻白んだ。「じゃあ、私たちプログラマのスキルは、重要ではないと仰るんですか?」 「一定のスキルさえあれば、それ以上の差はない」渕上マネージャは断定した。「いくらでも交換可能な駒にすぎない」 「駒?」 「そうだ。駒は自分の考えなど持たないし、持ってはならない。指し手の意思によって動けばいい。もし、駒が独自の考えで、闇雲に敵陣に突撃していったらどうなるか考えてみたまえ」 怒りを感じるべきだったのかもしれないが、あたしが感じていたのは恐怖に似た感情だった。 「お忘れかもしれませんが、私たちは人間なんですよ。私たちに自由意思はないとでもおっしゃりたいんですか?」 「いや、実装担当者としての意思は持つべきだ」渕上マネージャは、やや落ち着いてきた口調で答えた。「ソフトウェア工学は、PMの思考をそのままコーディングできるようなツールやIDEを生み出すに至っていないからな。君たちのコーディングスキルは尊重している」 「本当に尊重しているんですか?」 「何が言いたいのかね」 「尊重しているなら、定時コミットや、詳細すぎる日報や、進捗報告なんか不要なんじゃないんでしょうか」 「不要か。君たちの自主性に任せろというのか」 「そうです。私たちは、自分たちでスケジュールを管理する能力を持っているし、エンドユーザーの要求を仕様に落とすことだってできます。これまでだってそうやってきたんです」 「やはり、システム開発の本質を理解していない」渕上マネージャは繰り返した。「実装担当者に必要なのは、指示された仕様を過不足なく実装するスキルだけだ。スケジュール管理の能力などは必要ない。むしろ邪魔なだけだ」 「邪魔って……」 「実装担当者はシステム全体を知る必要はない」反論を受け付けない断言口調だ。「今、目の前にある実装にだけ集中すべきで、他人の進捗状況や、他のソースについて知る必要はまったくない。気を散らす役にしか立たず、プロジェクトの進行に何ら利益をもたらさない」 「そんな」知らず知らずのうちに、怒りが噴き出してきていたらしく、あたしの声は高くなっていた。「それじゃあ、良いシステムなんてできないと思いますけど!」 「良いシステムなどというものはない」 「は?」 「良いシステムなどというものはないのだ」渕上マネージャは繰り返した。「有用なシステムと、無用なシステムの2種類があるだけだ。そして有用なシステムを作るには、高度なマネジメントが欠かせない」 「私はそうは思いません」あたしは反論した。「私と亀井くん、それにホライゾンのメンバーだけでも、新勤怠管理システムは完成できたはずです」 「そうかな」渕上マネージャはあたしを睨んだ。「私がここに来たときには、設計スケジュールが遅れ気味になっていたし、実装も見切り発車しようとしていたようだが」 「それぐらいはリカバリ可能だったはずです。実際に遅れが出たのは、むしろ、定期コミットや日報や進捗報告のために余計な時間を取られたせいではないんですか?」 渕上マネージャは、あたしの問いには答えず、逆に質問を返してきた。 「つまり君は、私が導入したマネジメントがなくても、期日通りにカットオーバーできたと言いたいのか」 「もちろんです」 「その場合、シフト管理機能は残らずリリースできたといえるのかね?」 思ってもみなかったところを突かれて、あたしは絶句した。確かに、あたしはシフトエントリ機能を、今回のリリースから外すことを決めたが、渕上マネージャは、それをしっかり含めることに成功した。実際、シフトエントリ機能は、人事部門や現場担当者からは好感触を得ている。 「いえ」あたしはやっとのことで声を出した。「シフトエントリ機能などは、実装できなかったと思います」 「そういうことだ」それがすべてだ、と言わんばかりだ。 「でも!」あたしは身を乗り出した。「そのために、サードアイさんを引っ張ってくる必要があったわけですよね? 余計なコストをかけるというのは、経営戦略本部の命に反しているんじゃないんですか? エンドユーザーにいい顔したいだけじゃないんですか?」 「君はコストの意味を、いまだに理解していない」渕上マネージャは冷静に指摘した。「コストダウンというのは、無闇に削ったり、単に金をかけなければいい、ということではない。必要な部分に必要なだけかけ、それによって最大の効果を得ることがコストダウンの意義だ。サードアイの参加はコストをかけるべき部分だ」 「そのかわり、私や亀井くんの残業を削り、ホライゾンさんに支払うべき費用を削ったんじゃないんですか? そうやって捻出したんじゃないんですか?」 「そのとおりだ」渕上マネージャは平然と肯定した。「それが削るべきコストだった」 「そのせいで、ムツミさんは身体を壊し、他のメンバーも出社拒否になってしまったんですよ」あたしは指摘した。「ただでさえ、安い見積もりでやってもらったというのに……」 「それが甘えにつながっているとは考えないのか」 「甘え?」意外な言葉だった。「どういう意味ですか?」 「安くやっている。だから、個々のプログラムの精度が多少落ちても仕方がない。そう考えてはいたのではないのか?」 「……いえ、そんなことは……」 「そんなことはないと言い切れるのか?」渕上マネージャの声は辛辣だった。「それとも、その分、自分たちがカバーすればいい、それが社内SEの仕事だ、などとバカげた考えを持っていたのではないだろうな」 「それのどこがバカげているんですか」あたしは辛うじて反論した。「会社は違っても、1つのプロジェクトを遂行するチームじゃないですか」 「開発グループだけで作っている、納期も品質も問われないような、使い捨てシステムなら、チームごっこで自己満足に浸るのもいいだろう」渕上マネージャは容赦なかった。「だが、ホライゾンやサードアイは、君にとっては単なる下請け業者にすぎない。使える間は使い、必要がなくなれば付き合いは終わりだ。それ以上の感情を抱くと、亀井のような愚かな行動に出ることになる」 渕上マネージャが放つ冷徹な言葉の数々は、完ぺきなぐらいの正論だった。残念ながら、あたしには、理詰めで反論することはできそうになかった。 あたしは渕上マネージャから目をそらして、窓の外のどんよりと曇った空を眺めた。すでに退出したムツミさんが、その下のどこかにいるはずの空を。 「私には、そこまで割り切ることはできそうにありません」あたしは小声でつぶやくように言った。「渕上さんの考えだと、システムを完成させるためなら、私たちは協力会社さんを使い捨ててもいいということになります。私はムツミさん……片寄さんたちとチームのつもりでしたし、その考えが間違っていたとは思いません」 渕上マネージャはあたしの顔を見つめていたが、何も言おうとしなかった。 「私が間違っていたとすれば、そもそも最初にホライゾンシステムを選定してしまったことです。見積もり金額だけで選んでしまったことは失敗でした。それは認めます。自分の査定に影響するかもしれない、ということしか考えていなかったんです」 あたしは灰色の空に見切りをつけると、渕上マネージャの顔を見つめた。 「でも、それ以上の失敗は、あのとき、サードアイを選んで、ホライゾンさんを残さなかったことです。最初にホライゾンさんを選定した瞬間から、私には責任が生じていたというのに。やっぱり私は、自分のことしか考えていなかったんです」 「君がホライゾンを残すべきだと後悔しているなら、それは間違って……」 「分かっています」あたしは――おそらく初めて――渕上マネージャの言葉を遮った。「今後のことを考えれば、ホライゾンさんを選ぶ理由はありません。そんなことは分かっているんです。それでもなお、私はそのことを後悔し続けると思います」 「くだらないセンチメンタリズムだ」その口調からは、すっかり熱気が冷めていた。「君は、これからも感情まかせのシステム開発を行って、第2のホライゾン、第2の亀井を生み出して、その都度、後悔すればいいと思っているのか。それならそれで、好きにすればいい」 渕上マネージャは、踵を返して会議室を出て行こうとした。その背中に、あたしは呼びかけた。 「亀井くんはどうなるんですか?」 渕上マネージャは足を止めたが、振り返ろうとはしなかった。 「どうもならない」 「え?」 「どのみち退職する人間だ。今さら、けん責や懲戒を与えても仕方がない。開発グループに対する信頼を、これ以上損なうことに何の意味があるのか」 そう言い放つと、渕上マネージャは今度こそ会議室から去っていった。残されたあたしは、言いようのない無力感と敗北感に襲われて、長い時間、立ち上がることができなかった。 Press Enter■: 冷たい方程式(28) ぼくたちの失敗 (via petapeta) Source: petapeta