anywhere is home as long as I’m with you…
Remember when you asked me if we could travel the world? Well, I want whatever this is.
anywhere is home as long as I’m with you…
Remember when you asked me if we could travel the world? Well, I want whatever this is.
This exhibition of works from NOMA’s collection explores photography’s relationship to the world through a diverse selection of photographs that include obstructing elements or remind us that the photograph itself is often an obstruction to the real world.
Identified from the top:
人知れず生きてきた一匹のニホンオオカミが、人びとがすべて宇宙へと旅立ったあとの無人のスーパーマーケット マルエツの惣菜コーナーで、いなりずしを生まれてはじめて食べて上げた遠吠えに共鳴しだした、地球に残されていったシーズーやマルチーズやポメラニアンといった、小型犬たち。
物語は果物屋のオレンジの木箱からチェブラーシカが発見されるところから始まる。
果物屋のおじさんは最初に動物園に連れて行くが、守衛のおじいさん(小銃を持っているのがいかにも旧ソ連らしい)が言うには「こいつはここでは引き取れないよ、学問上何という動物かわからないからね」。
(この動物園はゲーナの「職場」でもある。彼は「ワニ」として働いており、家から毎日出勤している)
次に連れて行かれたおもちゃ屋でショーウィンドーで客引きの仕事をする事になるのだが、自分が何者であるかわからない、つまり社会に居場所が見当たらない彼は一人ぼっちのままである。(何者なのかわからない物珍しさが店の宣伝には役に立つ、と考えられた)
同じ頃、一人暮らしをする孤独なゲーナは友達募集の貼り紙を作っていた。(当時インターネットはまだ無い。ちなみに原作の絵本では元々ゲーナが主人公)
町のあちこちに貼られた貼り紙を見たチェブラーシカ(彼の仮の住まいである電話ボックスにも貼られていた)をはじめ、様々な人たちがゲーナの家に集まる。
一人ぼっちなのが自分一人ではない事を知ったゲーナは、一人ぼっちの人たちが集まる家を建てる事を思いつく。
他人に意地悪をする事に喜びを見出すシャパクリャクばあさん(彼女も孤独なのだ)の妨害を撥ね退け、10日後ついに家は完成する。工事に携わった人たち(人間も居れば、キリンやライオン、イヌもネコもサルも居る。ライオンのレフ・チャンドルと子犬のトービクはゲーナの「友達募集」の貼り紙が元で知り合った間柄)は一緒に一つの目的に向かって努力する、という過程で仲良くなり、家が完成した頃にはすっかり友達になっていた。
孤独な人たちが集まる家、ではなく、一緒に助け合って家を建てる、という行為が大事だった。家は幼稚園として活用される事になり、チェブラーシカはそこで働く事になる、というのが第1話のストーリーである。
要するに、アイデンティティと自分の居場所をめぐる物語なのだ。第一作が作られたのが1969年。ソ連崩壊など夢のまた夢、米ソ二大超大国が核兵器を抱えてにらみ合っていた冷戦真っ只中の時代である。高度成長期の日本のGNPは前年の68年に資本主義諸国中で第二位に達している。68年の北ベトナム軍によるテト攻勢に衝撃を受けたアメリカが和平も選択肢に加えた頃か。
どこの国でも、全ての人間が「何者か」である事を要求された時代だった。
(価値観の多様化というものは、冷戦構造が無くなった、いわば「大きな物語」が消滅してからの現象である。何が悪で誰が悪者で、何が正しくて誰が正義か、そういう事をハッキリさせなければならない時代が長く続き、そういう時代の社会では人は必ず、何者かでなくてはならなかった)
意地悪い物の見方をすれば、チェブラーシカという人形アニメにプロパガンダ臭が臭わないわけではない。
チェブラーシカは一見背格好や行動・言動からして、人間の幼稚園児相当の存在かと思われる。
だが社会で働く事を義務と感じ、また憧れてさえいる(アイデンティティとは社会に参加する事である)。
孤独な人たちが集まるための家を作る、という作業にも、共産主義国お得意の「団結」「労働」「建設」というモットーが見え隠れするようだ。共に働く事が、孤独からの解放につながる、という事か。
「正体不明」のチェブラーシカは、労働に参加する事によって居場所を得たのである。
(ワニのゲーナでさえ動物園の従業員の一人である。動物も「労働者」であらねばならないお国柄か)
北朝鮮の子供向けプロパガンダアニメを見た事があるのだけど、あれに比べればチェブラーシカははるかに政治臭が薄い。意識して見なければ気づかない。でなければ世界中で愛されるキャラクターにはなれなかっただろう。21世紀に入ってからチェブラーシカが有名になった日本だが、愛される理由の一つはやはりテーマだろうか。
価値観の多様化が叫ばれ、文化的にも政治的にも少量多品目生産が当たり前になって久しいが、そのフリーダムな状況(善も悪も無い)ゆえに指針を見失って道に迷い、生き方がわからず孤独に陥る人は急増したのじゃないだろうか。自由ってある意味、大変なんですよ。自由なりに。
共産主義国であった旧ソ連では、現代の日本ほど孤独に苦しむ人は居なかったのかも知れない。
孤独な人が多い21世紀初めの日本だからこそ、チェブラーシカは殊更に愛されるのだろう。
ヒマラヤ山脈で採取されたイエティのものとされている2体の動物の試料と古代のホッキョクグマの遺伝子を調べてみたところ、完全に一致したという。
完全に一致。イエティ(雪男)が古代ホッキョクグマのDNAと一致(英研究) : カラパイア
雪男もロマンだけど、古代ホッキョクグマの末裔 or 親戚が、ヒマラヤにいることにもロマンを感じる。
(via tatsukii)
イスラムの戒律で有名なものに「豚を食べてはいけない」がありますが、これは、かつてイスラム圏で、豚を食べて食中毒になった歴史があったからです。
同じような戒律に「犬になめられたら手を十回洗う」というものがあります。これもムハンマド(マホメッド)が生きていたころに、狂犬病が流行し、多くの人が死んだからです。ムハンマドは、それは「アラーの神の与えた罰」と考え、犬になめられた場合は「狂犬病」要するに「神の怒り」に体が蝕まれないように、手を十回洗わなければならないという戒律を作りました。
いずれも、「食中毒」「狂犬病」という病気を避けるための戒律です。しかし、それは、昔では神の怒りなのです。そして神の怒りを受けないために、戒律として禁止するのです。
我々の世界は、観測した時にだけ明確な姿を現すが、観測していない時にはなにがどうなっているのか分からない。それは「可能性の重なり合った状態として存在している」。これがほんとうの姿であり、それ以外にこの世界を理解する方法はない。
セックスしたくなさすぎて土下座したら、相手セックスしたすぎて土下座してきて、道に面した窓から酔っぱらったおじさんの排尿とおぼしき音が聞こえてきて、私何も悪いことしてないし、この人だって本当にいい人なのに、何なんだこの世界はって涙出そうになりました
467:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/05/14(土) 11:32:40.40 ID:ggJdwAJd0
イスラム教徒の人が 「日本はアッラーの管轄外」といってトンカツたべてた
478:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/14(土) 11:33:17.64 ID:xbaD/C7Q0»467 神様にも管轄があるんだな
483:名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/05/14(土) 11:33:34.97 ID:wkFRoxvI0»467 ワロタ
488:名無しさん@涙目です。(和歌山県):2011/05/14(土) 11:33:55.86 ID:EKvfiUXJ0»467 管轄外なら仕方ないな
俺もよく母親に怒られた後、「何が悪いのか分からないので教えてください」って言ったら「それが分からんのがおかしい」とか「考え方を根本から直せ」とか、全然内容のない言葉で怒られた。今よくよく考えてみると、この質問に答えられないのに怒る大人ってろくな人間じゃない。
